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今週末見るべき映画「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」

――まるで夢を見ているような映画。記憶に記憶が重なり、例えば、死ぬ寸前に、それまでの人生の一瞬一瞬が、走馬灯のように脳裏を駆け抜けるような感覚に襲われる。中国の貴州省、凱里出身で、監督、脚本のビー・ガンは、過去の記憶を辿る男ルオ・ホンウの、夢のようなイメージを重ねて、ルオの「心の旅」に観客を誘う。後半は、3Dのワンショットで撮影、ルオが、ある場所に足を踏みいれる。ルオの記憶の旅、夢の旅に同行しよう。

                       (2020年2月24日「二井サイト」公開)

なんとも不思議な雰囲気に満ちている。「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」(リアリーライクフィルムズ配給)の資料によれば、ビー・ガン監督は、シャガールの絵と、パトリック・モディアノの小説に心惹かれているという。ビー・ガンは、シャガールの幻想的な雰囲気と、行方不明の人物を捜索するというモディアノ作品のテーマを、しっかりと踏襲しているかのようだ。

 2018年の東京フィルメックスで、コンぺティション作品として上映された中国映画である。

 プロットはいたってシンプル。ルオ(ホアン・ジエ)は、父親が亡くなったことで、故郷の凱里に戻ってくる。ルオに、今は亡き友人の白猫(リー・ホンチー)や、白猫の母親(シルヴィア・チャン)、地元のヤクザのチェン・ヨンゾン(ヅオ・ホンユエン)らの記憶がよみがえってくる。

 そして、ルオがかつて愛したワン・チーウェン(タン・ウェイ)と名乗った女性の面影もまた、よみがえってくる。現実と記憶がないまぜになるなか、ルオは、さらに長い旅路を辿ることになる。 

 中国語のタイトルは「地球最后的夜晩」。詩人で作家のロベルト・ポラーニョの短編小説集『Last Evenings on Earth』と同じである。また英語のタイトルは、ユージン・オニールの戯曲「夜への長い旅路」と同じである。小説や戯曲と同じ結構ではないにしても、映画の原題、英語のタイトルからは、監督自身、まったく影響を受けていない訳ではないだろう。

 昔、ボラーニョの短編集『通話』(白水社、松本健二訳)を読んだが、この中の「センシニ」という一篇に、こんな一節がある。「何か不思議な理由で、僕たちはこうしてここにいる。そしてこれから先、いろいろなことが、かすかにではあるが変わろうとしているのだ」。まさに、ルオの彷徨を言い当てているようだ。

 オニールの有名な戯曲の内容は、本作とはあまり関係がないように思われるが、タイトルそのものが、映画の内容を示唆している。

ビー・ガンの好きな作家モディアノは、かつて、ルイ・マル監督の映画「ルシアンの青春」で、監督と共同で脚本を書いている。また、パトリス・ルコント監督の映画「イヴォンヌの香り」の原作である『悲しみの館』もまた、モディアノの小説である。 

 モディアノは、2014年にノーベル文学賞を受け、その講演で語る。

「小説家の想像力とは、現実をデフォルメするというのとはほど遠く、現実の奥底に入り込んでいき、見かけの背後に隠されているものを探知するために、赤外線や紫外線の力でもって、その現実をありのままにあきらかにする」と。「小説家」をそのまま「映画監督」に置き換えると、本作がどのような映画かを説明しているのではないか。

 脚本を書くにあたってビー・ガンは、台湾の作家チャン・ターチュンに相談している。当初、映画のタイトルは、前半が「記憶」、後半は「罌粟(けし)」にする予定だったようだ。ドイツ系ユダヤ人の詩人パウル・ツェランの詩集『記憶と罌粟』の一節にこうある。「もろもろの喪失のなかで、ただ“言葉”だけが、手に届くもの、見近なもの、失われていないものとして残った」。これまた、本作に通底するイメージだろう。

 ビー・ガンは、資料に掲載されたインタビューで、影響を受けた、あるいは参考にした好きな映画をいくつか、挙げている。ビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白」、ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、アン・リー監督の「ビリー・リンの永遠の一日」などなど。なるほど、そうなのかと頷ける。

 ビー・ガンは1989年の6月生まれ。今年でまだ31歳だ。本作は、2015年に撮った「凱里ブルース」に次ぐ、長編2作目である。監督自身の映画、文学、絵画など、芸術全般の深い教養に裏打ちされた、ビー・ガンの「知の履歴書」とも言える映画だ。

 フランスが協力した合作である。大スターで多くの監督作品のあるシルヴィア・チャンと、アン・リー監督の「ラスト・コーション/色・戒」に主演したタン・ウェイが、それぞれ、二役で出ている。シルヴィア・チャンは、白猫の母親役と、赤毛の女を演じて、貫禄を示す。

 「記憶が錆びる」というルオのセリフがある。記憶は、現在という時間が経過するたびに、その意味が変化していく。ルオは、夢と記憶が混在するなかを彷徨い、ルオの錆びた記憶が、鮮やかに可視化されている。

多くの邦画のように、過剰な説明はない。やたら叫ぶような映画ではない。主人公のルオに同行し、記憶や夢の世界に遊ぶ。これもまた、映画だ。

 中国の流行歌を効果的に引用した音楽のセンスがいい。わが中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」も出てくる。春は菜の花、秋には桔梗が咲くが、アザミはやはり、夜に咲くのだ。思わず、身を乗り出した。

 それにしても、恐るべき才能である。わずか長編2作目にして、これほどの映画を撮るとは。

☆ 2020年2月28日(金)~ ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリー、池袋HUMAXシネマズ他にて全国ロードショー

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