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今週末見るべき映画「ダリダ あまい囁き」

――輝くばかりの美しさ。心に響く歌声。世界に愛された歌姫ダリダの波瀾万丈の人生。

いろんな国に、大好きな女性歌手がいる。

 思いつくままにあげると、キューバではセリア・クルス、ポーランドではエヴァ・デマルチク、メキシコではトーニャ・ラ・ネグラ、スペインではアナ・トローハ、アルゼンチンではメルセデス・ソーサ、ブラジルではガル・コスタ、チリではビオレータ・パラ、日本ではちあきなおみ、アメリカではニーナ・シモン。フランスでは、エディット・ピアフもだが、やはり、ダリダだろう。

 このダリダの、ほぼ完璧ともいえる伝記映画が、「ダリダ あまい囁き」(KADOKAWA配給)だ。ダリダの歌手人生の明暗を、あますところなく伝えて、こころ震える。

  唄う曲がことごとくヒットする。富と名声を手中に収める。だがダリダは、1987年、54歳にして自らの命を断つ。ダリダとは、どのような人生を送った歌手なのか。なぜ、「人生に耐えられない。許して。」との遺書で、この世を去ったのか。

 全編に流れるダリダの歌が圧巻である。

 1974年ころ、もとはイタリアの曲だが、「パローレ、パローレ、パローレ・・・」と唄われ、アラン・ドロンのささやくようなセリフの入る「あまい囁き」は、日本でも大ヒットした。このダリダとアラン・ドロンのカバーは、映画「恋するシャンソン」でも使われ、おなじみだろう。

 もとはロシアの曲だが、1968年にポール・マッカートニーがプロデュースして、メリー・ホプキンの唄った大ヒット曲「悲しき天使」を、「花の時代」というタイトルで、唄う。

 初期のヒット曲「バンビーノ」は、「フランスはバンビーノでおかしくなってしまった」と言われたほど。

 1967年、ダリダは、12歳年下のルチオと恋に落ちる。「18歳の彼」が唄われる。

 幸と不幸が交錯する人生が、「灰色の途」で唄われる。「この愛は私を殺す これが続くなら 独りで命を断つわ・・・」と。おそらく、ダリダの唄った歌唱の最高傑作かもしれない。

 個人的に好きなのは、1979年ころと思うが、ダリダの弟で、プロデューサーでもあるブルーノのアイデアで、昔の曲をディスコサウンドで唄った一連の曲たち。なかでも、「ベサメ・ムーチョ」での、ストリングスと女声コーラスのアレンジがすばらしい。

 世界じゅうを魅了したダリダだが、私生活、ことに男性運には、恵まれていなかったようだ。さまざまな男性と知り合い、幸福な時間を共有するが、別れがくる。また、ほかの男性と知り合うが、別れがくる。

 イタリアの歌手、ルイジ・テンコ。ラジオ局の大物、ルシアン・モリス。18世紀にヨーロッパで活躍したサンジェルマン伯爵の生まれ変わりと自称したリシャール・シャンフレー。この3人は、自ら、命を断っている。

 だが、ダリダは、自らの絶望、悲しみを、歌唱に昇華させていく。

 イタリア移民の子としてエジプトで生まれ、ミス・エジプトになるほどの美人である。映画に出たところ、ある映画監督から、パリ行きを勧められる。もともと、歌はうまかったが、パリですぐ開花するわけではない。やっと、ジュリエット・グレコやシャルル・アズナブールのショーの前座を務める。そのステージで、ルシアン・モリスが注目することになる。1956年の「バンビーノ」が、世界じゅうでヒットする。

 もはや、大歌手。1974年の日本公演は、声が出ないと、いきなりキャンセルして問題となるも、その名声は増すばかり。

 ダリダを演じたのは、イタリアの人気モデルで、ニューヨークで活躍しているスヴェヴァ・アルヴィティ。ネットで見ることのできるダリダに、よく似ている。実物のダリダは、落語の「鰍沢」に出てくる、元吉原の花魁だったお熊のように、やや険のある顔つきだが、映画でのダリダは、目鼻立ちの整った美人だ。唄うシーンは、もちろん、ダリダ自身の歌唱。

 脚本を書き、演出したのは、リサ・アズエロスという女性。きめ細かく、多くの実在の人物像を過不足なく描ききる。ソフィー・マルソーの映画を撮っているが、未見である。

 ダリダのことをよく知らなくても、一女性の波瀾万丈な人生ドラマとしての体裁も、しっかり整っている。ご覧になると、ダリダの歌をもっともっと聴きたくなることと思う。

☆2018年5月19日(土)~ 角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー

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