年始め見るべき映画(その1)「チャンシルさんには福が多いね」
――チャンシルさんは40歳くらいの女性で、映画プロデューサー。相棒の監督が急死、職を失う。いまだ独身。なんとか食べていかなくてはならない。
「チャンシルさんには福が多いね」(リアリーライクフィルムズ、キノ・キネマ配給)は、失業したチャンシルが、どのように生きていくのかを、淡々と描いていく。
全編、いろんな映画へのオマージュにあふれ、タイトル通り、チャンシルは、苦難を乗り越え、多すぎるほどの「福」を手にすることができるのか。ほろ苦く、切なく、だけどどこか笑える、不思議な映画だ。
(二井サイト・ブログ 2021年1月5日公開)
チャンシル(カン・マルグム)は、映画のプロデューサー。ある打ち上げの宴席で、監督が急死する。
映画会社の女性社長から「あなたの居場所はない。監督あってのあなただったから」と冷たくあしらわれる。
チャンシルは、今まで映画ひとすじ、もちろん独身である。なんとか、食べていかなければならない。家賃も安いところにしなければならない。町はずれの小高い丘の上にある家の一間を借りることになる。
大家のおばさんポクシル(ユン・ヨジョン)は、夫と娘に先立たれてのひとり暮し。そのせいか、まるでチャンシルを自分の娘のように思い始める。
お金がない。とにもかくにも、仕事を見つけなければならない。チャンシルは、年下の女優ソフィ(ユン・スンファ)を口説き、家政婦の職を得る。ソフィは、チャンシルのことを「姉さん」と慕っている。また、ソフィは、義理堅いけれど、自分の身の回りの世話ができないでいる。
ある日、チャンシルは、ソフィにフランス語を教えているヨン(ぺ・ユラム)と知り合う。ヨンは短編映画の監督だが、やはり経済的に困っていて、フランス語の教師はアルバイトである。ハンサムなヨンは、「退屈な小津安二郎の映画よりも、クリストファー・ノーランの映画が好き」と言い放つ。それでも、チャンシルは年下のヨンに、いささか心ときめく。
そんなチャンシルの日々に、突然、ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」に出ていたレスリー・チャンを名乗る男(ヤン・ヨンミン)が現れる。レスリー・チャンが映画で着ていた白いランニング・シャツにボクサーパンツの男は、たびたびチャンシルの前に姿を現わし、チャンシルと会話を交わす。そして、チャンシルの的確な話し相手になってくれる。
男は、チャンシルにアコーディオンを弾くよう、リクエストする。エミール・クストリッツァ監督の「ジプシーのとき」のメインテーマで、これはチャンシルが映画を作りたいという人生を決めた映画だ。チャンシルは、つい忘れかけていた映画への情熱を取り戻し始める。
いまは、チャンシルにとっては冬かもしれない。しかし、冬のあとに春が来るように、チャンシルにも春が訪れるはずである。チャンシルの、ほんのちょっとした喜びや悲しみに付き合っているうちに、まるで自分がチャンシルになったように思えてくる。
チャンシルの分身ともいえるレスリー・チャンを名乗る男もまた、映画への情熱を持ち続けていて、チャンシルに言う。「宇宙のどこにいても、あなたを応援している」と。
小津安二郎の映画「東京物語」のラストシーンのように、映画は人生の喜怒哀楽をさりげなく描いて、やがて来る春に向かって、走り去っていく。
このようなすてきな映画の脚本を書き、監督したのは、キム・チョヒという女性で、「ハハハ」や「ソニはご機嫌ななめ」「自由が丘で」などのホン・サンス作品のプロデューサーだった。短編をいくつか撮った後、これが長編デビュー作になる。パリで映画理論を学んだこともあってか、女性らしい細やかさが随所に見られる演出ぶりは、もはや新人監督の枠には収まらない。
チャンシルを演じたカン・マルグムの映画を見たのは初めてだが、なかなか爽やかな印象だ。美人タイプではないが、笑ったり、困ったりしたときの一瞬の表情に魅せられる。
新年早々、すてきな映画のお年玉をもらったよう。
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