今週末見るべき映画「スターリンの葬送狂騒曲」
――1953年、粛清の名のもとに、恐怖政治でソ連を支配した独裁者スターリンが亡くなる。次期権力者の座を狙って、マレンコフやフルシチョフ、ベリヤといった側近たちが色めきたつ。まるで、ドタバタコメディ。辛辣さ、たっぷり。
いま、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いている。演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィル。スターリンの死後、すぐに作られたショスタコーヴィチの傑作だ。長大な第1楽章、第2主題の「亡霊のワルツ」は、いまだ、スターリンの呪縛から逃れられない作家の苦悩が読みとれる。
で、つい最近、「スターリンの葬送狂騒曲」(ギャガ配給)を見た。スターリンの死後、その権力の座をめぐってのドタバタ劇である。実在の人物が、巧みに戯画化され、全編、笑いっぱなし。
1953年。スターリン(アドリアン・マクローリン)は、政敵とおぼしき人物のリストに見入っている。スターリンとその秘密警察は、粛清の名のもとに、多くの人物を抹殺する。
スターリンたちの夕食が延々と続いている。側近がずらりといる。中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)は、くだらない冗談が多い。警備隊のトップ、ベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)は、フルシチョフのジョークにバカ笑いする。自ら、スターリンの第一の腹心を自認するマレンコフ(ジェフリー・タンバー)は、どこか場の空気が読めないままである。夕食の宴は、明け方近くに、やっと終わる。
明け方、レコードを聴こうとするスターリンは、女性ピアニスト、マリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの手紙を見つける。「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」とある。苦笑いをして、余裕たっぷりのスターリンだったが、やがて、倒れてしまう。
意識不明のスターリンを発見したのは、メイドである。側近たちが集まる。まだ死んではいないのに、早々と後継者争いが始まる。「書記長は私だ」とマレンコフ。みんなは医者を呼ぼうとするが、有能な医者は、すべて粛清の対象で、いまではヤブ医者たちしかいない。
スターリンの娘、スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)が駆けつける。医者たちの診断では、スターリンは脳出血で、回復は不可能とのこと。ベリヤは、モスクワの警備に当たっていた軍を、さっそく自分の部下たちに交代させる。
やがて、後継者を指名することなく、スターリンは亡くなる。後継をめぐっての権力闘争が、スターリンの息子のワシーリー(ルパート・フレンド)、外務大臣のモロトフ(マイケル・ペイリン)、貿易大臣のミコヤン(ポール・ホワイトハウス)、国防大臣のブルガーニン(ポール・チャヒディ)、軍最高指令官のジューコフ(ジェイソン・アイザックス)たちを巻き込んで、本格化していく。はたして、誰が、スターリンの後を継ぐのだろうか。
側近たちは、手を組み、騙しあい、脅しあい、裏切りあう。かなり、史実に基づいていると思われるが、史実そのものを、辛辣なジョークで笑い飛ばす。紛れもない事実は、1260万人(ロシア現政府発表)とも言われている多くの人たちが、粛清され、拷問にあい、命を奪われたことである。映画を見て、笑っていても、映画が終われば、恐怖政治のおぞましさが、ずしりとのしかかってくる。
スターリンの歴史的評価をめぐっては、いまだ見解が割れているらしい。そもそも死因すら、明確ではない。公式見解では、脳卒中のようだが、暗殺、陰謀説も絶えない。
イギリス映画だから、イギリスの俳優たちが多く出ている。なかでは、秘密警察を指揮するベリヤを演じたサイモン・ラッセル・ビールが、シェイクスピア俳優らしく、達者な芝居を披露する。
ロシア語でなく、英語で語られるが、違和感はない。むしろ、実在の政治家に似せたメイクが、リアリティを支える。
監督は、スコットランド生まれのアーマンド・イヌアッチ。テレビシリーズで、辛口の政治コメディをいくつか手がけていて、高い評価を受けている。
引用される音楽は、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。また、葬儀シーンでは、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。そして、ショパンの前奏曲第4番。
ショスタコーヴィチの交響曲第10番第4楽章は、一瞬、歓喜を感じさせるも、第1楽章の沈痛さ、不安感に飲み込まれてしまう。これは、映画「スターリンの葬送狂騒曲」と同様、多くの粛清された人たちへの鎮魂歌かもしれない。
蛇足ながら、本作は、ロシアでは上映禁止との命令が出たらしい。日本でも、首相急死を受けてのドタバタを映画にした場合、あちこちからの圧力、そんたく、自己規制で、上映は不可能、日の目をみることはないかも。もっとも、対象は小粒、映画化には価しないだろう。
☆2018年8月3日(金)~ TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー