今週末見るべき映画「運命は踊る」
――息子が戦死したとの誤報が、イスラエルに住む夫婦の運命を翻弄する。戦場での検問にあたる息子もまた、人生の歯車が狂っていく。
運命について、古今東西、いろんな人が言葉を残している。
「運命は我々を導き、かつまた我々を翻弄する」(ヴォルテール)。「平らな道でもつまずくことがある。人間の運命もそうしたものだ。神以外に誰も真実を知るものはないのだから」(チェーホフ)。「人間の運命は人間の手中にある」(サルトル)。「人間にはそれぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない」(カミュ)……。
映画「運命は踊る」(ビターズ・エンド配給)のチラシには、ラ・フォンティーヌの言葉が引用されている。
「人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う」
まことに風格のある映画。ゆったり、じっくりと、運命に翻弄された家族のありようを見た後、何度も、人間の運命について、あれこれと考えこんでしまう。
冒頭、舗装の傷んだ荒野の一本道を、トラックが揺れながら走っている。映画の時間が進行するなか、ずっと、記憶にとどまる。いったい、ファースト・シーンは、何を意味するのか、と。
舞台はイスラエルのテルアビブ。ミハエル(リオール・アシュケナージー)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻の住むアパートに、軍の役人がやってくる。それだけで、妻のダフナは卒倒してしまう。夫妻には、徴兵で兵役中の息子ヨナタン(ヨナタン・シライ)がいて、軍からの知らせは、ヨナタンの訃報に決まっている。
ミハエルは一見、冷静のようだが、葬儀についての役人の言葉に沈黙することで、怒りを沈めているようだ。やがて、戦死の知らせが誤報だったと分かる。ミハエルは、即刻、息子を呼び戻すよう、軍の役人にくってかかる。
兵士ヨナタンの任務先は、のんびりとラクダが通るような検問所だ。ヨナタンは、好きなスケッチを描いたりで、のんびりしているように見える。時折、通りかかる車や、乗っている人物の身元を調べるのが仕事だ。いつもは簡単な仕事なのに、ある時、若者たちの乗った車を検問する際、ヨナタンは、とんでもないことをしでかす。
ダフナは、ヨナタンの無事を単純に喜ぶが、ミハエルは、一刻も早く、息子を連れ戻す算段をする。やがて、ミハエル、ダフナ、ヨナタンの三者三様の運命が、大きく動きだしていく。
映画では戦闘シーンが描かれることはない。背景に、イスラエルの国情が見え隠れする。先人の言うように、人間は運命に翻弄され、平らな道でもつまずくことがある。ミハエルやダフナは、ホロコーストで翻弄され、生き延びてきた世代の後継者たちである。そしていまなお、運命に翻弄されようとしている。
日本とて、ホロコーストの洗礼を受けた世代の後継者が、まだ生存している。徴兵制度こそないものの、翻弄された運命を受け入れざるを得なかった人は多い。決して、他人事ではない。
原題は「フォックストロット」。社交ダンスのステップである。ミハエルはダフナに、過去の秘密を打ち明けた後、フォックストロットの説明をする。そして、言う。
「どこへ踊っていこうと、必ず同じ場所に戻ってくる」
フォックストロットに限らず、社交ダンスには、LOD(ライン・オブ・ダンス)という、ダンスの進む方向がルールで決まっていて、時計の針と逆方向に進む。踊りはじめて、ボールルームを一周し、もとの位置に戻る。ワルツやタンゴなども、LODに従って、必ず出発点に戻る。
映画では、何度か、フォックストロットの話が出てくるが、なぜか、老人ホームでは、サンバふうの音楽が引用される。また、ラクダがのんびりと歩き去るなか、検問所で銃を持った兵士が踊るのは、ペレス・プラードが作曲した「エル・マンボ」である。マンボは、左足を前、後ろ、右足を後ろ、前と、単純な踊りだが、これまた、元の位置に戻るのだ。
フォックストロットは、社交ダンスのステップでもあるが、劇中、兵士の通信で使われる暗号でもある。「こちらフォックストロット、道路は封鎖した……」といったふうに。つまり映画では、フォックストロットにいくつもの意味を持たせていることが分かる。
監督、脚本は、1962年、イスラエルのテルアビブ生まれのサミュエル・マオス。1982年、イスラエルがレバノンに侵攻した際、砲手として従軍した後、映画を学ぶ。2009年、自身の戦争体験を基に「レバノン」を撮り、この「運命は踊る」を撮る。緻密に構成された脚本に、緊迫感たっぷりの演出。まだ、長編二作目とはとても思えない。2017年、第74回ヴェネチア国際映画祭では、みごと、審査員グランプリを受けている。
ギヨラ・ベイハによるカメラが、変化に富み、際だった美しさを見せる。引いた全景に人物がいる。かずかずの俯瞰。水面に映る兵士たち。夫妻や兵士たちの表情がアップされる。多くのシーンが、鮮やかな光と影のコントラスト。運命が踊るように、カメラもまた、踊る。
妻のダフナを演じたサラ・アドラーは、どこかで見たことがあると思っていたら、ジャン=リュック・ゴダール監督の「アワーミュージック」で、イスラエル人のジャーナリストに扮していた女優だ。
ミハエル役のリオール・アシュケナージーは、つい最近、試写で見た、リチャード・ギア主演の「嘘はフィクサーのはじまり」で、ニューヨークにやってきたイスラエルの政治家役で出ていた。
主役ふたりが、少ないセリフながら、雄弁な表情を見せる。この達者な演技が、ドラマの前半、後半を引き締める。なかほどは、息子ヨナタンを演じたヨナタン・シライのほぼひとり芝居。兵士とはとても思えない頼りなさを抱え、戦うことの無意味さを巧みに伝える。
フォックストロットのステップを踏み終えた親子三人の運命は、またトラックの走る荒野の一本道につながって、円環を閉じることになる。それは終わりでもあり、新しい運命の始まりでもある。原題が「フォックストロット」、邦題が「運命は踊る」。最近では出色の優れたタイトルと思う。
☆2018年9月29日(土)~ ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー