今週末見るべき映画「教誨師」(きょうかいし)
- 2018年10月10日
- 読了時間: 4分
――死刑囚に面会し、話しかけ、話を聞く。まだ新米の教誨師で、牧師の佐伯保は、さまざまな境遇の死刑囚たちと向き合っていく。

基本的に、死刑に反対である。
制度そのものは、凶悪犯罪の抑止力だが、そもそも、死刑に値するような犯罪を無くすことが、政治の大きな務め、役割だと思っている。真相究明もないまま、連続して10数名も死刑執行するような政府は、ろくな政府ではない。しかも、執行を命じた女性大臣のかつての国会答弁は、稚拙そのもの。野党の質問にも、まともに答えられない。
そんな腹立たしい日々からしばらく、「教誨師」(マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム配給)を見た。多くの映画に出演し、この2月に急逝、貴重な脇役人生を生き抜いた大杉漣が主演し、初のエキゼクティブ・プロデューサーを担った映画だ。このほどの大勢の死刑執行のかなり前から企画し、製作された映画だけに、時宜を得ての公開と言えよう。
まだ新米の教誨師、佐伯保に扮した大杉漣が、6人の死刑囚に話しかける。教誨師は、刑務所や少年院に収容されている人の希望で、話を聞き、宗教の教義を説く。現在、日本では約2000人の教誨師がいて、仏教系が約66%、キリスト教系が約14%、神道系が約11%、その他の宗教が約8%という。
死刑囚は、いつ死刑が執行されるか知らされないまま、独房で孤独の日々を過ごしている。家族や知り合いの面会も、ほぼないらしい。
さまざまな境遇の死刑囚たちに、残り少ない人生が、少しでも充実したものになるよう、佐伯は話しかける。
いくら話しかけても、口を閉ざしたままの鈴木貴裕(古舘寛治)がいる。ヤクザの組長だった吉田睦夫(光石研)は、気さくな男で、死刑囚とは思えないほど。人生を放棄したかのような年老いたホームレス、進藤正一(五頭岳夫)。気の弱そうな小川一(小川登)は、面会に来ない子どもを心配し続けている。大量殺人を犯した若者、高宮真司(玉置玲央)は、何の反省もせず、開き直る。
佐伯は、6人の死刑囚に、とつとつと語りかける。罪を悔い改め、残された時間をよりよく過ごし、安らかに死を迎えることができるよう、話を聞き、聖書の言葉を伝え続けていく。
それぞれ、悲惨な過去を持つ死刑囚たちである。佐伯の教誨は、思い描くようにはいかない。やがて佐伯自身も、自らの過去に思いを馳せるようになる。
濃密な演劇のようで、見応え充分の会話劇だ。死刑囚たちとの会話から、大杉漣は、さまざまな表情を見せる。時には戸惑い、時には安堵し、時には驚き、その表情が、圧倒的に雄弁だ。多くの映画で鍛えた底力が、いま花開く。
烏丸せつこも、いい。かつての面影を残すが、還暦を過ぎたいまは、ふっくらとしている。笑う表情に眼光が鋭く、相変わらず、達者なところを見せる。映画は初の出演だが、大量殺人を犯した高宮を演じた玉置玲央が、溌剌として、印象に残る。五頭岳夫、小川登、古舘寛治、光石研と、それぞれの個性をうまく引き出したのは、監督の演出力だろう。
死刑は、教誨師が存在しなければ、国家権力による殺人である。アムネスティ・インターナショナルは、1977年、「死刑廃止のためのストックホルム宣言」を発表、「死刑は生きる権利の侵害であり、究極的に残虐で非人道的かつ品位を傷つける刑罰である」としている。現在、死刑廃止の国は世界の3分の2以上、140ヵ国に及んでいる。
脚本を書き、監督したのは佐向大。たまたま、大杉漣のマネージャーの父親が教誨師だったことから、大杉漣と同じ事務所の監督が、映画化を思いついたという。2カ月ほど前に、監督と話す機会があった。映画の効果を高める音楽や効果音など、いっさいそぎ落としての挑戦だったと言う。対話劇に徹した、濃密な空間が、みごとに構築されていると思う。
監督の映画の出発点は、宣伝畑からで、1995年、神奈川県の映画コンクールで撮った短編が、大島渚らの審査員に認められて、特別賞を受けた。以降、映画の脚本を書き続けている。
大杉漣は、プロデューサーを買ってでる。監督は、綿密なリハーサルを繰り返す。大杉漣は、セリフのすべてがすでに入っている。なかばジョークで、監督に言う。「遺作にするよ」と。現実になってしまった。厳密には、大杉漣の遺作ではないが、渾身の演技と思う。
監督は、酒を呑まない。気さくで、礼儀正しい。「文は人なり」と言う。映画もまた同じ。映画を見れば、作り手の人となりがわかる。佐向大は、まだまだ、もっともっと、いろんなジャンルの映画を撮れる人と思う。文字通り、期待大だ。
さらに繰り返す。死刑は廃止すべきだ。死刑になるような犯罪を無くすこと。それが、政治の務め、役目だろう。
☆2018年10月6日(土)~ 有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサにてロードショー


















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