今週末見るべき映画「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」
――人種の異なる多くの人が住むニューヨークのジャクソンハイツに、さまざまなドキュメンタリー映画を撮り続けているフレデリック・ワイズマン監督のカメラが入っていく。
(2018年10月16日記・サイト公開)
ジャクソンハイツは、ニューヨークのクイーンズ区の一角にある。世界じゅうからの移民やその子孫など、さまざまな人種の人たちが、13万人ほど住んでいる。ざっと、ヒスパニック系が57%、アジア系が20%、白人が14%、黒人が3~4%。だから、話される言語も多く、167にもなるという。
「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」(チャイルド・フィルム、ムヴィオラ配給)というドキュメンタリー映画は、このジャクソンハイツに住む人たちの日々の様子、暮らしぶりを、丁寧に、丹念に、映し出す。監督は、ドキュメンタリー映画を撮り続けてのキャリアは50年以上、これがちょうど40作目になるフレデリック・ワイズマン。
すでに、2015年、第28回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で上映されていて、長く、一般公開が待たれていたが、やっとこのほど、実現した。
ワイズマンのカメラは、いろんな場所に入っていく。教会、モスク、シナゴーク、スーパー、レストラン、コインランドリー、さまざまな集会……。登場する人物は市井の人たちばかり。地域活動のボランティア、セクシャル・マイノリティの人たち、不法滞在者、再開発に戸惑う商店主、町のあちこちで音楽を奏でる人たち……。
みんなの表情は、いきいきしている。自分の言葉で、自らの考え、信念を語る。他人の書いた文章を棒読みするだけの政治家とは大違いだ。
それぞれの言葉が、とても、いい。
「世界でもっとも多様な人たちが住んでいる。なにしろ、167カ国語が話されている。私たちが成し遂げた成果に誇りを持とう」
「少しずつ、ジャクソンハイツの住民が追い出される。ぼくらが作ったジャクソンハイツを彼らが壊し、よそ者を住まわせる」
「この国の素晴らしさは多様性にある。富が世界中から集まる。様々な才能、様々な人種や文化を、我々がアメリカにもたらした」
「我々は“奪い”に来たのではない。この国を進歩させるために、命と汗を与えに来たんだ」……。
多くの国の音楽が、町のあちこちから聞こえてくる。女性ばかりのメキシコのマリアッチ・バンド、フロール・デ・トロアチェが、広場で「アル・ヴェール」を奏でる。多くのヒスパニックが住んでいるせいか、中南米の音楽が目立つが、インドや、アラブ系の音楽も町を彩る。
コロンビア出身の女性歌手ルシア・プリードは、「オディアメ」を唄い、「エル・マニセロ」(南京豆売り)も唄われる。サルサのオスカル・デレオンは、名曲「ジョ・キシエラ」を唄う。もちろん、ブルースの名曲「セントルイス・ブルース」を、地元の楽団、ジャクソンハイツ・オーケストラが演奏する。
圧巻は、老女たちが唄う「ジョ・ベンド・オホス・ネグロス」だ。エンド・クレジットを、メキシコの第2の国歌ともいうべき「シエリト・リンド」が飾る。
強い印象を残すのは、「メイク・ザ・ロード・ニューヨーク」というNPOの存在だ。このNPOは、永住権の有無に関係なく、あらゆる移民、人種、ジェンダーの人たちをサポートし、虐待や差別を受けた人たちの経験や意見を集め、個々の問題を解決しようとする。この革命的なNPOは、ニューヨーク以外でも活動していて、アメリカという国だからこその団体ではないかと思う。
ワイズマンのドキュメンタリー映画は、ここ数年、いくつか、一般公開されている。「パリ・オペラ座のすべて」「クレイジー・ホース」「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」だ。
アメリカを離れたとはいえ、ワイズマンの視点にブレはない。どれも、じっくりと、丹念に、被写体に迫る。編集された映像のことごとくに、作り手の優しい眼差しが窺われる。ジャクソンハイツへの眼差しもまた同じ。
ワイズマンのドキュメンタリー映画に、ナレーションや効果音など、よけいな味付けは、ほとんど、ない。あるがままの映像と音を撮り、あとは編集が勝負だ。日本の想田和弘監督の撮った「精神」「演劇」「港町」などの一連のドキュメンタリー映画も、あるがままを観察し、編集する。
ワイズマンは、1930年生まれ。高齢だが、その映像に、年齢は感じない。来年には、2017年に撮った「エクス・リブリス―ニューヨーク公共図書館(原題)」の公開が控えている。
2015年のニューヨーク。ジャクソンハイツに向けたフレデリック・ワイズマンの視点は、老女に向かう。老女は言う。「私は98歳で、ただここでじっと座っているだけ」と。
☆2018年10月20日(土)~ シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー