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今週末見るべき映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」

――没後25年になるアストル・ピアソラ。アルゼンチンタンゴに革命をもたらした作曲家、バンドネオン奏者だ。ピアソラの音楽は、クラシックだけでなく、いろんなジャンルの音楽家が取り上げている。このピアソラの生涯を描いたドキュメンタリー映画が、息子ダニエルの協力で完成する。

(2018年11月27日「二井サイト」公開)

 アストル・ピアソラを知ったのは、中学2年生の頃だった。ビクターから、アルゼンチンタンゴのモノラルのLPレコードがたくさん発売されていた。

 そのなかに、エンリケ・マリオ・フランチーニのバイオリン、アルマンド・ポンティエルのバンドネオンによる演奏で、「ロ・ケ・ベンドラ」(来るべきもの)が入っていた。

 驚いた。いままで聴いてきた、アルゼンチンタンゴとは、まったく異なる、新しい音楽に思えた。作曲したのは、アストル・ピアソラ。

 ピアソラは、まだ20歳そこそこで、アニバル・トロイロ楽団の第4バンドネオンを弾き、アレンジャーとして、「インスピラシオン」や「ケハス・デ・バンドネオン」などの、超モダンなアレンジを提供していることが分かった。やがて、ピアソラはトロイロの許を離れ、自らの楽団を持つ。

 以来、ピアソラの演奏になるレコード、CDを、かたっぱしから聴き始めた。ピアソラは、多くのレコードを残している。当初は、古典タンゴを、モダンなスタイルで演奏していた。例えば「ラ・クンパルシータ」を、ピアソラのアレンジ、演奏で聴くと、まるで現代音楽。原メロディーは出てくるが、いままで聴いていた「ラ・クンパルシータ」とまったく違っていて、「ラ・クンパルソーラ」とまで言われた。

 ピアソラは、自作の前衛的な曲を、さまざまな楽器編成で演奏、レコーディングしていく。どれも傑作揃いだ。バンドネオン奏者として一流、作曲家としては、超一流と思う。

 そんなピアソラの生涯を描いたドキュメンタリー映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」(東北新社、クラシカ・ジャパン配給)が公開される。まっさきに試写を見た。

 全編、どのシーンも、こみあげてくるものがある。ピアソラの娘ディアナが、父の伝記を書くために、ピアソラにインタビューする。その音声が、映画の冒頭に流れてくる。「演奏するのはサメを釣るのと同じ。10キロのバンドネオンを弾くと、汗が吹き出し、2キロは痩せる」

 息子のダニエルは、父の回顧展の準備に立ち会っている。ダニエルの脳裏に、父と過ごした日々がよみがえってくる。ピアソラは、作曲した後、楽譜をすべて焼却したという。ダニエルは、父の言葉を覚えている。「過去は振り返るな。昨日成したことは、ゴミだ」

 1950年代の半ば、ピアソラは、「ロ・ケ・ベンドラ」「プレパレンセ」など、古典タンゴとは曲想の異なる前衛的な曲を演奏し、録音する。「タンゴの伝統を破壊した」と、ブエノスアイレスの楽壇から、痛烈な批判を受ける。ピアソラは、伝統的なタンゴを破壊したのではなく、より高みの音楽に押し上げたのだ。

 映画では、ピアソラの生い立ちから、ニューヨーク時代、パリ留学で、ナディア・ブーランジェから学んだことなどが綴られる。8ミリで撮られた家族との映像でのピアソラは、どこにでもいる、ふつうのお父さんだ。

 ブエノスアイレスに戻ったピアソラだが、まだ、ピアソラを受け入れるほど、タンゴの世界は、熟していなかった。ピアソラの音楽が、あまりにも先を走りすぎていたのだろう。

 辛い時代のまっただなか、ピアソラにバンドネオンを与えた、敬愛する父が亡くなる。父の愛称は「ノニーノ」。父を追悼して作ったのが、名曲「アディオス・ノニーノ」だ。

 さまざまな楽器編成で演奏されていたピアソラの音楽は、1960年代、五重奏団が標準編成となる。ピアソラの快進撃が始まる。アメリータ・バルタールのために書いた「ロコへのバラード」や、1973年、イタリアに拠点を移して書いた「リベルタンゴ」が、世界じゅうで大ヒットする。「リベルタンゴ」に至っては、ギドン・クレーメル、ヨーヨー・マ、マルタ・アルゲリッチなどなど、著名なクラシックの音楽家が、こぞって演奏、レコーディングしている。

 ピアソラの来日公演は、2度、見ている。初来日の1982年は、五反田のゆうぽうと。2度目は、1988年、ミルバと共演した上野の東京文化会館だ。どちらも、震えながら聴いていた。

 ピアソラは、1992年、71歳で亡くなる。スタジオ録音ではラスト・レコーディングと言われている「ラ・カモーラ」というアルバムを聴くと、これは、紛れもないアルゼンチンタンゴだ。

 映画のラスト近く。まさに号泣するシーンが連続する。アストル・ピアソラに、限りない敬意を込めて映画にしたのは、著名なバンドネオン奏者ディノ・サルーシについてのドキュメンタリーを撮っているダニエル・ローゼンフェルド。

 カルロス・ガルデルは、アルゼンチンタンゴのスーパースターで、歌手、作曲家、映画スターだった。もちろん、ピアソラもガルデルには多大の敬意を寄せる。「ガルデルの前にガルデルなく、ガルデルの後にガルデルなし」で、ピアソラもまた、「ピアソラの前にピアソラなく、ピアソラの後にピアソラなし」だ。映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」を見ると、さらにもっと、ピアソラの音楽に引き寄せられるはずだ。

 ピアソラのアルバムは、どれも傑作揃いだが、最後に、私見だが、これは必聴と思われるアルバムを5枚ほど、紹介させていただく。

☆「アストル・ピアソラ/モダン・タンゴの20年」 ――副題に「1944~1964」とある。1964年の時点で、ピアソラが過去20年の軌跡を辿り、かつて演奏した曲を、1964年に再現する。古典タンゴの「エル・レコド」や、「クリオージョの誇り」のアレンジは、歯切れよく、転調も斬新。ピアソラの名盤中の名盤だ。

☆「アストル・ピアソラ/ホルヘ・ルイス・ボルヘス/エル・タンゴ」 ――1965年、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩に、ピアソラが音楽を付ける。朗唱は、歌手のエドムンド・リベーロ。

☆「ブエノスアイレスのマリア」 ――オラシオ・フェレールのセリフによるオペラで、アメリータ・バルタールが加わる。1968年の録音。

☆「レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970」 ――有名な「ブエノスアイレスの四季」から、「冬」、「夏」、「春」、「秋」のほか、全12曲からなる、レジーナ劇場でのライブ盤。

☆「ラ・カモーラ~情熱的挑発の孤独」 ――ピアソラ晩年の傑作。1988年、ピアソラのスタジオでのラスト・レコーディング。憂愁に満ち、しかも緩急自在。不協和音さえ、優しく美しい。ピアソラの遺書ともいえる音楽で、これぞ、ブエノスアイレスの音楽。

☆2018年12月1日(土)~Bunkamuraル・シネマにてロードショー

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