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今週末見るべき映画「私は、マリア・カラス」

――オペラの大歌手、マリア・カラスを描いた劇映画、ドキュメンタリー映画はいくつかある。没後40年、カラスの未完の自叙伝原稿が見つかる。未公開の映像や、友人宛の手紙などから、知られざるマリア・カラスの実像に迫ったドキュメンタリーだ。

(2018年12月18日「二井サイト」公開)

マリア・カラスの唄うベッリーニの「ノルマ」の第1幕、「清らかな女神」は、絶品と思う。プッチーニの「トスカ」の第2幕、「歌に生き、恋に生き」もまた、名唱である。

 最高にドラマチックなのは、ドニゼッティの「ランメルムーアのルチア」の第3幕、狂乱の場で唄われる「苦い涙をそそいで」だろうか。そのほか、カラス歌唱の傑作は枚挙にいとまがない。

 ファニー・アルダンの演じた「永遠のマリア・カラス」。ギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスとの出会いから別れを描いた「マリア・カラス 最後の恋」。ドラマよりドラマチックな、カラスの人生を綴った「マリア・カラスの真実」。いくつかのマリア・カラスを描いた映画に加えて、いままた、「私は、マリア・カラス」(ギャガ配給)が加わる。

 プライベートで撮られた8ミリ映像が出てくる。1953年、トリエステでのバックステージから撮られた「ノルマ」の舞台。また、1959年、チャーチル夫妻らと、オナシスのクルーザーに乗るショット。1964年、ギリシャのレフカダ島で、ハプニングで唄う、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」からの「ママも知るとおり」。

 1965年、メトロポリタン歌劇場でのバックステージで、「トスカ」と「ノルマ」の歌唱。1969年、トルコで撮影したピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「王女メディア」の現場などなど。貴重な映像が続く。

 かつてのモノクロ映像が、高画質のカラーでよみがえる。1958年、パリでのガラ・コンサートのテレビ放映では、「ノルマ」の「清らかな女神」が。1962年、カラスが舞台では唄わなかったビゼーの「カルメン」からの「恋は野の鳥」は、ロンドンのテレビ放映から。1964年、フランコ・ゼフィレッリ演出の「トスカ」のロンドン公演から、「歌に生き、恋に生き」を。

 驚きのシーンが連続する。自叙伝を書くべく、カラスの残した文章や、友人に宛てた手紙がある。数々のスキャンダルが、カラス本人の言葉で綴られる。

 オペラ歌手として、カラスの目指した理想は何だったのか。ひとりの女性として、カラスはどう生きたのか。映画「私は、マリア・カラス」は、その答えで満ちている。

 1958年、フランスでのインタビューで、「若い人をオペラに引きつけるには」との問いに、カラスは答える。

「演奏の水準を高くすること。これは厳しい仕事と、犠牲と心労と、自分自身への疑いと、なかなか理解されない危険を意味する。私は決して完全ではなく、完全なふりをしたこともない。望むことはただひとつ、たとえどんな代償が必要でも、芸術のために闘うこと」と。

 「私は、マリア・カラス」を撮ったのは、まだ若く、カメラマンから映画畑に進んだトム・ヴォルフ。カラスに魅せられ、3年間を費やし、世界じゅうからカラスの未公開映像や、資料、音源を集め、カラスの近親者、友人たちにインタビューした力作だ。ナレーションは、「永遠のマリア・カラス」でカラス役を演じたファニー・アルダン。しっとりと、落ち着いた美声で、カラスへの思い入れの深さが窺える。

 カラス自身の言葉、唄うシーンからは、カラスの抜きんでた歌唱力、オペラへの洞察力、鋭い音楽観、苦悩に満ちた人生が、くっきり。

 カラスがひときわ愛した「ノルマ」の「清らかな女神」はこんな訳詞だ。

「清き女神、あなたの銀色の光は、この聖なる老木を洗い清めてくださる。どうぞ、そのかげりない明るい面を、わたくしたちにもお見せください……」

☆2018年12月21日(土)~ Bunkamura ル・シネマにてロードショー

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