今週末見るべき映画「サッドヒルを掘り返せ」
――もう、涙、涙のドキュメンタリー。「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」のロケ地となったスペインの荒野に、熱心なファンが結集。50年近く前のロケ地を復元しようとする。
(2019年3月5日「二井サイト」公開)
スペインのマドリードの北250km、ブルゴス郊外にあるサント・ドミンゴ・デ・シロスという小さな村。1967年、日本で公開された映画「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」(以下、副題は割愛)のラストシーンが撮影された場所だ。
映画では、サッドヒル墓地という設定で、善人・クリント・イーストウッドと、悪人・リー・ヴァン・クリーフ、卑劣漢・イーライ・ウォラックの3人が、ここで三角決闘をする。卑劣漢が、墓場を走り回り、善人や悪人よりも、ひときわ目立つアクションだった。
映画は、金貨をめぐっての底抜けに痛快な西部劇。監督は、イタリアのセルジオ・レオーネ、音楽はエンニオ・モリコーネだったせいか、当時、マカロニ・ウエスタンと呼ばれていた。
映画が撮影されて、50年近く経った2014年。荒野に戻ったままのロケ地に、サッドヒル墓地を再現しようと、地元や近くに住む4人の男性が立ちあがる。ドキュメンタリー映画「サッドヒルを掘り返せ」(ハーク配給)は、だれが、どのようにして、撮影現場を再現したかを、克明に辿っていく。
一昨年の第30回東京国際映画祭の「ワールド・フォーカス」部門で上映され、真っ先に見た。これが、もう、泣かずにいられない。
4人の男性は、「続・夕陽のガンマン」や主演のクリント・イーストウッドが、よほど大好きなのか、じっとしていられなかったのだろう。住んでいる近くに、「続・夕陽のガンマン」を撮影した場所があるではないか。
4人の本業は、映画とはまったく関係がない。それぞれ、バーの経営者、民宿の経営者、宝くじ売り、学校の先生だ。バスク州のビルバオで、学校の先生をしているヨセバ・デル・ヴァレが、ファンの思いを代弁するかのように言う。
「クリント・イーストウッドが踏んだ石に触れたかった。理由はそれだけで十分だ」
映画のセットは、5000もの墓標が用意されたが、いまは草ぼうぼうの荒れ地になっている。4人は、「サッドヒル文化連盟」を結成し、インターネットで、ロケ地復活のボランティアを募る。
すぐ反応があった。反応は、地元スペインはもちろん、フランス、イタリア、ドイツなどに飛び火する。ヨーロッパから飛んだ火は、世界じゅうに広まった。たしか、日本人もいたはずだ。世界じゅうに、「続・夕陽のガンマン」好きがいて、ロケ地復元の動きに反応したのだ。
毎週末、あちこちから、いろんな人が、スキやクワ、シャベルを持って、スペインの荒野に集まる。なんの見返りもない。ロケ地を復元し、ただ、映画の記憶を辿るだけのために。
サッドヒルを再現しようとする動きに並行して、「続・夕陽のガンマン」についてのインタビューが出てくる。「あの映画は、時を経ても色褪せない」と、作曲家のエンニオ・モリコーネ。「なぜ、かれらはサッドヒルを復元したいのか。その一部になりたいからさ」と、「メタリカ」のリードヴォーカル、ジェイムズ・ヘットフィールド。
「続・夕陽のガンマン」を編集したエウヘニオ・アラビノは言う。「映画史に残るほど、美しい」。また、「愛する映画のロケ地を訪れるのは、巡礼のようなもの」と言うのは、映画研究家のクリストファー・フレイリング。そして、もちろん、クリント・イーストウッドが登場する。
2016年。「続・夕陽のガンマン」の撮影50周年を記念するイベントが、サッドヒルで開催の運びとなる。5000もの墓標は、さすがに再現に至らなかったが、約2000の墓標が復元された。世界じゅうから、大勢のファンが集まってくる。円形広場では、映画「続・夕陽のガンマン」の上映が始まろうとしている。そこに、映画の神様が降臨したかのような、奇跡が起きる。
やはり、涙、涙、涙なのだ。純粋に、映画への愛に満ちている。こんなに涙を誘う映画を撮ったのは、スペイン生まれのギレルモ・デ・オリベイラで、監督し、製作、撮影、編集までこなす。撮影は、レニー・ゴメス名義で、これが、ギレルモ・デ・オリベイラの長編映画デビューとなる。
スペインは、映画に関しては、奥が深い。名だたる映画監督が大勢。思いつくまま挙げても、アレハンドロ・アメナーバル、ペドロ・アルモドバル、ビクトル・エリセ、ハビエル・カマラ、ホセ・ルイス・ゲリン、カルロス・サウラ、ルイス・ブニュエル、ビガス・ルナ……。もう、枚挙にいとまがない。
「サッドヒルを掘り返せ」は、作り手や、登場人物たちの、映画への限りない愛に満ちている。何度見ても、泣ける。だから何度も見たい。
☆ 2019年3月8日(金)~ シネマカリテほか全国順次ロードショー