top of page

今週末見るべき映画「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」

――「アニメーションの神様」と、世界じゅうから称賛されているユーリー・ノルシュテインが、30年以上もかけて、いまだ未完の作品が、ゴーゴリの小説「外套」だ。なぜ未完か、ノルシュテインのいるモスクワまで、映画監督の才谷遼さんが訪ねていく。

(2019年3月19日「二井サイト」公開)

ロシアのアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインは、傑作を撮り続けている。コンピューター・グラフィックスなどは用いない。すべて、切り絵や断片を用いた、精緻な手作りだ。

 それは、「25日・最後の日」(1968年)、「ケルジェネツの戦い」(1971年)、「キツネとウサギ」(1973年)、「アオサギとツル」(1974年)、「霧の中のハリネズミ」(1975年)、そして「話の話」(1979年)といった作品群をご覧いただけたら、分かると思う。

いろいろな動物を通して、描かれ、語られるのは、生きてあることの喜怒哀楽だ。ことに、「話の話」で描かれるのは、人が争い戦うことの悲惨さ、愚かさ、無意味さだ。

どのアニメーションも精緻を極め、的確な音楽、音響が添えられ、ほのぼのとしたユーモアのなかに、生きとし生けるものへの愛、ことに弱者への寄り添いがある。これはもはや、芸術だろう。

 このノルシュテインが、もう30年以上もかけて作り続けていて、いまだ未完の作品が、ゴーゴリの小説「外套」を原作にしたアニメーションだ。

 帝政ロシア時代のサンクト・ペテルブルグ。貧しい下級官吏のアカーキーは、公文書の清書が生き甲斐で、栄転になるのに、他の仕事は拒否する。アカーキーの着古した外套は、もはや修復できなくなる。アカーキーは、生活を切り詰め切り詰めして、やっと念願の外套を手にいれるが、その外套が追い剥ぎに盗られてしまう。

 原作の「外套」(未知谷 刊、児島宏子 訳)にこうある。

 「アカーキーは清書という仕事に、何か彩り豊かで快い自分の世界を見出していました。いくつかの文字は彼のお気に入りです。そんな文字にやっとたどり着くと、彼はすっかり興奮してしまいます」

アカーキーのような貧しい役人でさえ、ちゃんと生き甲斐があり、上司に迎合しない。ゴーゴリが1840年に書き、1842年に発表された「外套」は、後のロシア文学に多大の影響を与えただけでなく、いまもなお、現代に生きている。ノルシュテインが、アニメーションで描こうとしたのも必然だろう。

 ドキュメンタリー映画「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」(ラピュタ配給、ノーム配給協力)は、2016年6月、才谷遼監督が、通訳の児島宏子さんと共に、モスクワにあるノルシュテインのスタジオ「アルテ」を訪ね、ノルシュテインに、「なぜ、アニメーションの《外套》は完成しないのか」と迫る。

 ノルシュテインは、さまざまな感慨を披露する。巧みなユーモアを混じえつつ、その一言一言が、胸を打つ。

「この30年、《外套》のことばかり考えてきた」

 「要するに私は自分自身に対する要求が高すぎるのだ。だから納得できない映画は作らなかった」

「世界が待っているのに」と才谷さんは迫るのに。

 いまだ未完なのには、さまざまな理由がある。お金の問題、製作スタッフの問題、なによりも、ノルシュテイン自身のためらいがある。

 2005年の暮れ、ノルシュテインが来日したとき、「暮しの手帖」(第4世紀20号)で、川本喜八郎さんとの対談を記事にしたことがある。通訳は、児島宏子さん。

 川本さんが、折口信夫の小説「死者の書」のアニメーションを製作、完成した頃である。記憶に残る多くのノルシュテインの言葉がある。

 アニメーションの小さな断片をピンセットでつまむ。少し動かして、撮影。また少し動かして撮影する。「そのピンセットは、いまだに私のコンピューターです」

 川本さんの「アニメーターにしろ、作家になろうという人は、片手間ではなれない。自分の人生を全部賭けないとね」という発言に応えて、プーシキンの「預言者」という詩の一節を引用する。

 「心の渇きに苦しみ、私は暗い荒野へ引きずられていった」。さらに言う。

「散文でも、詩、短歌、俳句、絵画でも、いろんな表現がある。そこから相手の喜びや悲しみ苦しみを生きる、自分のものにする、一種の強烈な共感ですね。それこそが、いろんな意見の人を繋ぐと思うし、それなりの真実です」

 2度目にノルシュテインと会ったのは、2016年の年の暮れ。12月に、ノルシュテイン作品の特集上映が開催された時だ。このインタビューでも、ノルシュテインの言葉の数々は、いつまでも記憶に残る。通訳は、もちろん、児島宏子さん。

 「アニメーションの神様と言われているが……」と聞くと、「そう名付けてくださった方は無神論者だと思う。私は自分のことを、なにかすごいものを作り上げた人間とは、ちっとも思っていない」

 「どのような日常か」との問いには、「私は、アニメーションという創造の分野で働いているが、この作業を続けていくためには、資金が必要。私が生まれ育った国(ソビエト社会主義共和国連邦)は無くなったが、そのことを喜んでいる人がいる。とくに喜んでいるのがお金をもうけている人たちで、そういう人たちは、私などを何とも思っていない。ホコリのひとつぐらいにしか思っていない。そういうことで、毎日、生活全体に緊張感が生まれている。どんな緊張感かといった細かいことは言いたくないくらいの大きな緊張感だ」と応じる。

 また、「芸術は、エベレストのように克服できるものではなく、決して克服しえない、極められない高みを持っていると感じる」とも。

 アニメーションの「外套」が、いつまでたっても完成しえない理由が、すこしは分かったように思った。

 ドキュメンタリー映画「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」には、ノルシュテインの過去の作品のいくつかが登場する。「ケルジェネツの戦い」「キツネとウサギ」「アオサギとツル」「霧の中のハリネズミ」、そして「話の話」だ。

「話の話」は、トルコの詩人、ナジム・ヒクメットの同名の詩をもとに、ノルシュテイン自身の記憶が重なっていく。戦争がある。戦勝パーティで、みんなは、タンゴの「疲れた太陽」を踊る。ニキータ・ミハルコフ監督の傑作「太陽に灼かれて」の冒頭にも使われたタンゴだ。戦争にとられて、踊る人が少なくなっていく。夫人たちは、戦死の通知を受け取る。

 才谷監督のカメラは、ノルシュテインのスタジオで作業を共にする人たちも捉える。亡くなった撮影監督アレクサンドル・ジェコーフスキーを継いだマクシム・グラニク。ノルシュテインの妻で、美術監督のフランチェスカ・ヤールブソワ。ノルシュテインの弟子たちなど。ノルシュテインはスタッフを気遣い、信頼を寄せる。スタッフたちは、ノルシュテインを敬愛する。

 やがて、カメラは、ノルシュテインの「外套」の撮影風景を収め始める。どのようにして、ノルシュテインの「外套」が、作られ続けているのかを。

2016年6月、すでにノルシュテインの「外套」は、完成しているのではないかと思わせるほどの、迫力あるドキュメンタリー映像だ。

☆ 2019年3月23日(土)~ シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page