今週末見るべき映画「バイス」
――田舎の電気工から、ジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領にまで上り詰めた影の権力者、ディック・チェイニーの実像に迫る。
ジョージ・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライスそしてディック・チェイニーと、驚くほどのそっくりさんばかりの政治コメディで、笑えるけれど、内容がほぼ真実と思うと、背筋が寒くなる。
(2019年4月5日「二井サイト」公開)
今年のアカデミー賞で、作品賞、監督賞(アダム・マッケィ)、脚本賞(アダム・マッケィ)、主演男優賞(クリスチャン・ベール)、助演男優賞(サム・ロックウェル)、助演女優賞(エイミー・アダムス)、編集賞(ハンク・コーウィン)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の8部門にノミネートされたのが、「バイス」(ロングライド配給)だ。
主演男優賞は、「ボヘミアン・ラプソディ」で、クイーンのフレディ・マーキュリーに扮したラミ・マレックが受賞したが、個人的には、「バイス」で、元副大統領のディック・チェイニーを演じたクリスチャン・ベールに差し上げたい。体重約20kgも増量しての役作りと、余裕と幅のある演技に、見とれてしまう。
アカデミー賞レースでは、実在の政治家たちの、笑えるほどのそっくりさんを作りだしたメイクアップ&ヘアスタイリング賞しか貰えなかったのが、まことに残念。コメディ・タッチとはいえ、当時のアメリカ政府が、公にされると都合の悪いことをたっぷりと描いているので、この結果もしかたがないか。
2001年9月11日、同時多発テロ勃発。ホワイトハウスの大統領危機管理センターを仕切るのは副大統領のディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)だ。かつての師匠で、当時、国防長官だったドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)から、軍の交戦規定についての電話が入る。「いかなる航空機も脅威とみなせば爆撃できる」と即答するチェィニー。すでに、ブッシュ大統領(サム・ロックウェル)並みか、それ以上の権力を握っていることが分かる。
同時多発テロから38年前のワイオミング州。酒好きのチェィニーは、イェール大学を退学、しがない電気工をしていて、酒のせいで、いつも警察の厄介になっている。大学時代からの恋人で、抜群の成績だったリン(エイミー・アダムス)は、ついにチェィニーに愛想をつかす。チェイニーは誓う。「君を二度と失望させない」と。
1968年、チェイニーは連邦議会のインターシップに参加、共和党の下院議員ラムズフェルドと出会い、その巧みなスピーチに魅せられる。チェイニーは、ラムズフェルドの元で働くことになる。
ニクソン政権下、ラムズフェルドは大統領補佐官に就任、チェイニーに言う。「口は堅く」「指示を守れ」「忠実であれ」と。どちらかといえば凡庸だったチェイニーに、上昇志向が芽生える。
1974年、ウォーターゲート事件で、ニクソンは辞任。チェイニーは、師匠のラムズフェルドに電話する。「ホワイトハウスを乗っ取ろう」と。チェイニーは、要領よく、ホワイトハウスにカムバックし、ジェラルド・フォード政権では、34歳の若さで、大統領首席補佐官に就任する。
フォードは、1976年の選挙で、ジミー・カーターに敗退する。チェイニーは、下院議員選挙に出馬する。チェイニーは、持病となる心臓疾患を抱えている。人前でのスピーチも上手くはない。下院議員当選は、ひたすら、妻のリンの力による。
ロナルド・レーガン政権を経て、チェイニーは、ブッシュ政権に乞われて、副大統領に就任する。
映画は、チェイニーの一代記を描きつつ、アメリカがなぜイラクに侵攻したのかまでを、テンポよく見せる。チェイニーは、娘が同性愛者ということで、いちど政界を去り、大手の石油会社ハリバートンのCEOに就任する。もちろん、大株主でもある。
アメリカの攻撃で、イラク市民は100万人、亡くなったという。アメリカの兵士もまた、大勢、亡くなったはずだ。元石油会社の重役で大株主が、ほぼイラク侵攻を決定する。アメリカは、とんでもない国と思う。だが、「バイス」といった映画を作るのも、アメリカだ。
製作者に、「プランB」を設立したブラッド・ピットが名を連ねる。すでに、「マネーボール」「それでも夜は明ける」「ムーンライト」「ビール・ストリートの恋人たち」といった傑作佳作を製作し続けている。
監督・脚本・製作は、アダム・マッケィ。「サタデー・ナイト・ライブ」の脚本で名をあげ、「マネー・ショート 華麗なる大逆転」で大ブレイク。「バイス」では、広く深いリサーチが結実したと思う。
ナンバーワンではないが、ナンバーワン並みの権力を握ったチェイニーのような人物は、歴史上、多い。古くは、フランス革命、第一帝政、復興王政時を生き抜いたジョゼフ・フーシェ。スターリンと、フルシチョフ政権下のソ連に君臨したアナスタス・ミコヤン。歴史は繰り返す。常に、時の権力にうまく寄り添う、風見鶏のような人物は、必ず、いる。
ふと思う。よく出来た、このようなアメリカの政治風刺ドラマを面白がっている場合ではない、と。深い教養もなく、虚偽疑惑たっぷりの発言に満ちあふれた宰相が、新しい元号について、したり顔でコメントする国である。大きなメディアは、権力の横暴に対して、見て見ぬふりを決め込み、チェックし、批判しない。それどころか、喜んで、権力に追従するような報道を繰り返している。
何度も言う。何度も書く。メディア各位は、前回レビューした「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」や、この「バイス」を見て、誰に何を取材するかを見極め、しっかりと裏を取り、錆びたペンを、しっかりと磨いてほしいものだ。
ジャーナリズムのなすべき仕事は、ますます、多い。
☆ 2019年4月5日(金)~ TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開