今週末見るべき映画「幸福なラザロ」
――主人公ラザロの圧倒的な無垢に驚く。20世紀末、イタリアの小さな村に住む純朴な若者ラザロは、小作人だ。小作制度が廃止されたのに、領主は隠蔽したまま、村人たちの労働力を搾取し続けている。ラザロは、ある誘拐事件に巻き込まれることになる。
(2019年4月16日「二井サイト」公開)
第71回カンヌ国際映画祭で、脚本賞を受けた「幸福なラザロ」(キノフィルムズ、木下グループ配給)は、女性監督アリーチェ・ロルヴァケルの脚本になる。養蜂家の家族を描いた「夏をゆく人々」では、第67回カンヌ国際映画祭でグランプリを受けた才女だ。
20世紀後半、イタリアの辺鄙な小さな村に、ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)という若者が住んでいる。気のいいラザロは、村人たちから、いろんな仕事を頼まれる。少女のアント二ア(アニューゼ・グラツィアーニ)さえ、「ラザロ、ラザロ」と呼んでは、用を言いつける。
丘の上には、領主のデ・ルーナ侯爵夫人(二コレッタ・ブラスキ)の邸宅があり、領主は、小作制度の廃止を隠蔽したまま、監督官のニコラ(ナタリーノ・バロッソ)を通して、たばこ農園で働く村人たちを、奴隷のように支配している。
イタリアでは、1982年に小作制度が廃止されたにもかかわらず、領主は、外の世界を知らない村人たちの労働力を搾取し、さらに村人たちは、ラザロを体よくこき使っている。
ある日、領主の息子タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)が、ニコラの娘テレーザたちといっしょに、町からやってくる。タンクレディは、村での退屈な日々をもてあましている。また、母親への抵抗もあって、ラザロを仲間にして、自身の誘拐事件をでっちあげる。タンクレディは、ラザロのささやかな隠れ家に身を隠す。タンクレディは、ラザロに「俺たちは兄弟だ」と言う。ラザロは、何の疑いもなく、タンクレディに従う。
タンクレディは、母親である領主に身代金を要求するが、領主は、どうせ息子の狂言だと思って無視する。そんなとき、ラザロは突然の高熱に見舞われる。隠れ家にいるタンクレディに食料を届けなければならない。高熱なのに、ラザロは隠れ家に赴く。もうろうとしたラザロは、足を滑らせ、谷底に落ちてしまう。
タンクレディを気遣ったテレーザが、警察に通報したことで、小作制度廃止を隠蔽し続けていた村のことが明るみに出る。村人たちは、どうなるのか。そして、ラザロとタンクレディは?
映画の後半は、前半のリアリズムから離れて、寓話的な展開となる。それにしても、痛烈な文明批評、社会批評だ。
純真無垢なラザロは、その透徹したまなざしで、村から離れ、村に戻り、町を見る。それは、俗なるものばかり。だからこそ、ラザロの持つ聖性が、際立つ。
脚本は、イタリアで、じっさいにあった出来事を基にしているという。一部の権力者、富裕層、大企業が君臨し、隠蔽し、搾取する。まるで、いまの日本にも、ピタリと当てはまる。
ラザロは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の第11章「ラザロの死」に出てくる。38節の「イエス、ラザロを生き返らせる」を読まれると、イエスは、ラザロの復活を通して、神を信じることの大いさを説いたことが分かる。
ラザロを演じたアドリアーノ・タルディオーロは、まだ大学生で、俳優デビューとなる。
映画でのラザロは、他人を助ける、恨まない、妬まない、疑わない、欲しがらない、怒らない。常に、おだやかな表情である。アドリアーノ・タルディオーロは、そのような役どころを、飄々と演じきる。
そのまなざしや表情は、とてつもなく、幸福感に満ちている。「巧言令色鮮し仁」という。人たるもの、ラザロの聖性を感じとって欲しいものだ。
風格をたたえ、なにより、品がある、すてきな映画だ。
☆ 2019年4月19日(金)~ Bunkamura ル・シネマ ほか 全国順次ロードショー