今週末見るべき映画「さよなら、退屈なレオニー」
――17歳の女子高校生レオニーは、バカ騒ぎの同級生たち、口うるさい母親、威張るだけの義父に囲まれ、孤独で倦怠の日々を過ごしている。そんなレオニーが、中年男のギター教師と知り合い、寄り添っていくのだが……。
(2019年6月11日「二井サイト」公開)
舞台は、カナダ、ケベック州の海辺に面した小さな街。
卒業を間近に控え、退屈な日々を過ごしている女子高校生レオニー(カレル・トレンブレイ)の一挙一動を、繊細な感覚で綴っていく「さよなら、退屈なレオニー」(ブロードメディア・スタジオ配給)は、単なる「青春映画」ではない。レオニーを取り巻く、さまざまな人たちの生態から、「いま」という時代がどのようなものなのかが、濃厚に伝わってくる。
それは、レオニーの置かれた状況が、ひとつの答えになっている。
レオニーの母親は、何かにつけて、口うるさい。義父のポールは、ラジオのDJをしていて、体制寄りな発言で、そこそこの人気を得ている。
レオニーが頼りにしているのは、実の父親シルヴァンだ。シルヴァンは、保守的で現実的なポールと違って、理想を追い求めている。労働組合のリーダーとしてストライキを指揮したことから、遠い町で働かざるを得なくなっている。
実父を信頼しているレオニーは、ポールと再婚した母親を、許せない存在と思うのも仕方がない。
そんなある日、レオニーは、街のダイナーで、中年男のスティーヴ(ピエール=リュック・ブリラント)と出会う。スティーヴは、ギター教師をしながら、足の悪い母親との二人暮らし。これまた、カナダのケベックのみならずの状況だろう。
スティーヴが飼っている犬を散歩させながら、気安く話すレオニーと、スティーヴの受け答えが、とてもすてきだ。「いい街だろ」と言うスティーヴに、レオニーが切り返す。「正気? ゾンビだらけの死んだ街よ。イライラする人ばっか」と。
義父から、「やりたいことは?」と聞かれても、レオニーは「わかんない」としか答えない。
17歳の少女レオニーが直面する現実が、うまくスケッチされていく。
レオニーが、スティーヴからギターを習い始めるあたりから、ドラマは速力を早め、レオニーは、おとなの世界に踏み込んでいく。
監督のセバスチャン・ピロットの語り口が、新鮮だ。これがまだ長編3作目だが、時代を切り取り、描く才覚は、すでに老獪。
原題は、「蛍はいなくなった」で、いくつもの深い意味のあるタイトルと思われる。多くの明るい光の中では、ささやかな蛍の光は、目立たない。
今後、ますます、文明の光は、蛍のような存在を隠し続け、結果、蛍はいなくなる。ピロット監督は、高らかに、いまという時代への警鐘を鳴らしている。
レオニーを演じたカレル・トレンブレイは、まだ幼いけれど、ときおり見せる老けた表情が、多くを物語り、出色の演技を披露する。昨年の第31回東京国際映画祭の「TIFF ティーンズ」部門で、「蛍はいなくなった」のタイトルで上映され、カレル・トレンブレイは、ジェムストーン賞を受けている。1996年生まれだから、まだ23歳ほどだろうか。近い将来、大女優になる予感を感じさせる。
ギター教師のスティーヴを演じたピエール=リュック・ブリラントは、ギター、ドラムが達者なミュージシャンでもある。木訥とした中年男の分別を、さりげなく演じて、カレン・トレンブレイを支える。
使われた楽曲もまた、いいなあと思う。ヴォイヴォド、ミシェル・リヴァール、フェリックス・ルクレール、ターナー・コディ、ロックバンドのアーケイド・ファイアなど、ほとんど知らないミュージシャンの音楽だが、心地よく響き、ドラマの進行を支える。
レオニーは、たしかに、若くして退屈、倦怠を経験する。いまの居場所はないかもしれない。おとなへのとば口にいるレオニーは、おとなの世界の現実を垣間見て、それでも、なんとか、新しい一歩を踏みだそうとする。
すでに、17歳の時代がはるか過去となった人たちは、必ずや、自らの過去を思い浮かべるに違いない。
☆ 2019年6月15日(土)~ 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー