今週末見るべき映画「巴里祭」「リラの門」
――ルネ・クレール生誕120周年になる。このほど、1933年の傑作「巴里祭」と、1957年の「リラの門」が、4Kデジタル・リマスター版で公開となる。クレール作品は、傑作揃い。1930年、トーキー第1作の「巴里の屋根の下」、1931年の「ル・ミリオン」「自由を我等に」などなど、いつ、何度見ても、市井の、ごくふつうの人たちに寄せたクレールのあたたかで優しい眼差しに、うっとりする。
(2019年6月20日「二井サイト」公開)
まずは、1933年に作られた「巴里祭」(セテラ・インターナショナル配給)。原題は、「7月14日」で、この日は、フランスの革命記念日だ。有名な主題歌は、クレールが歌詞を書き、モーリス・ジョベールが曲を付ける。
まったく、色褪せない。何度見ても、心震える。7月13日、革命記念日前夜パリの下町。明日のお祭りを控えて、ベランダや玄関を飾り付けて、みんなは準備に大わらわ。花屋の女店員アンナ(アナベラ)と、向かいに住むタクシーの運転手ジャン(ジョルジュ・リゴー)は、お互いにひかれあっている。
記念日の前夜、ジャンとアンナはダンスを踊る。雨が降ってくる。また明日、踊ろうと別れたふたりに、予期しない運命が待ち受けている。ジャンのかつての恋人ポーラ(ポーラ・イレリ)が、ジャンのもとに舞い戻ったのだ。
もう、歌詞の通りの展開だ。
「パリのどこでも、のぼる太陽が、それぞれの人生に愛の夢を開く。二十歳の娘に、恋が芽生える。娘の周りは、春の色に染まる。夜が明ける。パリの下町で、二十歳の青春は、恋の色に染まった夢を追いかける」
映像は鮮明。86年前の映画である。さすがに音声はそれなりだが、ワルツに乗った歌詞は、誰が唄っても、すてきだ。
さらに歌詞が映画を牽引する。
「同じ場所に住むふたり。同じ中庭をはさんで、彼は娘に微笑みかける。娘もまた、ひそかに彼を思う。ある日、ただ一度のキスが、ふたりをひとつにする。娘は思う。永遠に続いてほしい希望が、空に描かれているようだ、と」
パリの下町に生きる、市井の人たちのスケッチが、生き生きと、微笑ましい。下宿屋のおばさんたち。レストランの酔っぱらい。ジャンを悪の道に引き込むやくざ。いたずら盛りの子どもたち。何度もぞろぞろと歩く大学教授一家。見ているだけで、ハッピーな気分になる。
音楽、音響効果も素晴らしい。子どもたちがいたずらで鳴らすクラクション。広場での楽団演奏。にわか雨の音。雷鳴。自動ピアノからの音楽。犬が吠える……。すでにトーキーである。クレールの表現は、完璧、万全と言える。
アンナ役のアナベラは、可憐で気強い役どころを熱演。完璧な美人ではないが、斜めに構えた表情に、うっとりしてしまう。セットで、パリの下町を再現している。すべての映像が、クレールの絶妙のさじ加減。永遠の映画の一本だ。
クレールが、「巴里祭」を撮って、24年後の1957年に撮ったのが、「リラの門」(セテラ・インターナショナル配給)だ。もはや円熟のクレール。
パリのポルト・デ・リラ(リラの門)に、お人好しで酒好きの中年男ジュジュ(ピエール・ブラッスール)が住んでいる。今日もまた、みんなから「芸術家」(ジョルジュ・ブラッサンス)と呼ばれている友人のギターの弾き語りを聞きながら、呑んでいる。
ある日、殺人を犯した色男のピエール(アンリ・ヴィダル)が、怪我をしてリラの門に逃げてくる。ジュジュは、ピエールを匿ってやる。ジュジュは、ひそかにマリア(ダニー・カレル)を慕っているが、マリアはなんと、ピエールに想いを寄せることになる。
反骨、反体制の大歌手、ジョルジュ・ブラッサンスの歌が、素晴らしい。「わが心の森には」「アーモンド」「ワイン」だ。もともと、映画「リラの門」は、ブラッサンスの友人、ルネ・ファレの書いた小説が原作である。ブラッサンスの勧めで、クレールが映画化を引き受けたいきさつがある。ブラッサンスを映画で見ることができるのは、たぶん、「リラの門」だけだろう。
ちなみに、ルイ・アラゴンの詩に、ブラッサンスが曲をつけた「幸せな愛はない」は、ブラッサンスの代表作のひとつで、ゴダールの映画「勝手にしやがれ」で、BGMとして引用されている。
さまざまな人生がある。それぞれ、人はどう生きるかを模索している。無垢で人のいいジュジュが選んだ人生が、幸福だったかどうか。幸福と、思いたい。そして、今日もまた、大きな荷車を引いた家族が、リラの門を通り過ぎていく。
「巴里祭」「リラの門」を初めて見たのは、もう50数年前、高校生の頃だった。以降、何度か見る機会があったが、このほど、鮮明な画像を見て、あらためて、ルネ・クレールの残した偉業に、ただただ驚くばかり。二作とも、映画ファン、必見と思う。
☆ 2019年6月22日(土)~ YEBISU GARDEN CINEMA にて同時公開