今週末見るべき映画「鉄道運転士の花束」
――長く、鉄道運転士を務めた男イリヤは、定年退職を間近に控え、19歳の養子シーマに、後を継がせようとする。過去の痛みを抱えたイリヤは、未来への希望を、シーマに託すのだが……。
(2019年8月12日「二井サイト」公開)
小さい頃から鉄道が好きで、電車に乗ると、先頭か最後部に行き、ひたすら線路を見つめていた。ことに、駅近くでポイントが切り替わる瞬間に出会うと、うれしくて、何か得したような気分になるのだった。
いま、「鉄道運転士の花束」(オンリー・ハーツ配給)を見て、幼い頃の鉄道関係の思い出がよみがえる。
かつて、南海電鉄の天下茶屋駅に、小さな操車場があり、立ち入り禁止なのに、踏切から線路に入ることが出来た。天下茶屋は、和歌山の方へ行く南海本線と、高野山に向かう高野線に分かれる駅で、別に、天王寺へ向かう電車も走っていた。
操車場は、本来、入ってはいけないところだったが、ここが遊び場だった。ポイントが連続していたり、3方向に分かれるポイントがあったりで、見ていて、飽きることがなかった。昭和30年代の話である。
映画の舞台はセルビア。イリヤ(ラザル・リストフスキー)は、代々、鉄道運転士の家系で、まもなく定年退職となる。イリヤは、6人ものロマの楽団員の乗った車を轢いてしまう。
トラウマを防ごうと心理療法士がやってくる。イリヤは、長く運転士をしているため、すでに、20数名、自殺や不可抗力の事故で、轢殺している。事故の詳細を語るイリヤに、心理療法士の気分が悪くなり、イリヤが逆に介抱する始末。冒頭から、なんともブラックな笑いをとりながら、映画という列車は、疾走を続けていく。
イリヤの父、祖父もまた運転士だったが、イリヤは、若くして妻を亡くし、子どもがいない。そこで、後を継がせるべく、19歳になるシーマ(ペータル・コラッチ)を養子に迎える。
イリヤは、今まで、事故で多くの人を轢殺している。父が轢殺した分と合計すると53人。祖父も合わせると。63人もの人を轢殺している。イリヤは、まるで人を轢殺するのが、一人前の運転士とばかりに、シーマに言う。「事故は避けることが出来ない」
若いシーマは、人殺しはいやだと思いながらも、いつ、事故を起こすのか不安でならない。イリヤは、シーマを励ます。「一週間のうちに、一瞬で終わる」と。
初乗務から一週間、二週間。三週間経っても、シーマは無事故である。いつ事故を起こすか、シーマの緊張は日増しに高くなる。シーマを、なんとか一人前の運転士に育てようと、イリヤは、あることを思いつく。
鉄道マニアなら、たまらないシーンが続出する。緑ゆたかなバルカンの地を走る列車。関係者が、列車の音を聞いて、どんな列車かあてっこする。乗務後に立ち寄る酒場は、列車を改造したもの。
イリヤに想いをよせている中年女性ヤゴダ(ミリャナ・カラノヴィッチ)の住む場所も、古い列車を改装している。本来、神聖であるべき運転席が、とんでもない様相で、ところどころに登場する。ドローンで撮影したと思われる列車の俯瞰。丘陵を貫くトンネル……。
人命に関わるブラックなセリフがあるかと思うと、ほんわかしたファンタジーもある。実の父子ではないが、父と子の、微笑ましいかぎりの交流がある。タイトルにある「花束」は、イリヤとシーマが、死者に捧げるものにちがいないが、自らの鎮魂の花束でもある。
脚本を書き、監督したのは、ミロシュ・ラドヴィッチである。祖父が、蒸気機関車の運転手だったらしい。たぶん、これが日本で公開される初めての映画と思うが、細部までゆるがせにしない熟練の演出は、もう、職人芸だ。
イリヤに扮したラザル・リストフスキーの演技が、映画を支え、圧巻。ラザル・リストフスキーは、多くの舞台に出ている名優だ。どのような役柄を演じても、この役者なら可能だろう。旧ユーゴスラヴィアの混乱の歴史を象徴的に描いたエミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」でも、重要な役柄で出ていた。
初老の男が、義理の息子に、未来を託す。映画の結末の先に、希望があると思いたい。イリヤとシーマの花束は、未来でもまた、花香るに違いない。
シーマの運転する列車が疾走している。ポイントが切り替わる。列車は、直進せず、切り替わったポイントの方向に向かう。格好いい、と思う。天下茶屋の駅周辺は、近代的に整備され、鉄道はいまや高架になり、昔の面影は、まったく、ない。
☆ 2019年8月17日(土)~ 新宿シネマカリテほかにて全国順次公開