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今週末見るべき映画「ジョーカー」

――「バットマン」に登場する悪役ジョーカーが、そもそも、どのような人物で、どのようにして悪役になってしまったのか。アメコミの「バットマン」を背景にしているとはいえ、まったく異なる角度からのオリジナル・シナリオで描いたジョーカーの誕生秘話だ。優しく孤独な男が、巨悪に変貌するさまは、切なくも現代的で、一級の文明批評。

                      (2019年10月3日「二井サイト」公開)

「バットマン」と同じ舞台のゴッサム・シティ。時は1981年で、町はいまや荒廃の一途。顕著な格差社会に加えて、清掃作業員のストライキで、町にはゴミ袋があふれている。映画「ジョーカー」(ワーナー・ブラザース映画配給)は、このゴッサム・シティに暮らす、コメディアン志望の男アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)の日々を描いていく。

 アーサーは、「どんな時も、笑顔で人を楽しませなさい」との母ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)の言葉を信じて、コメディアンになろうとしている。まるで、自らの使命であるかのように、アーサーは、ピエロの衣装とメイクで、街角に立つ。アーサーには持病があって、ところかまわず、時折、笑い出す。

 アーサーは、同じアパートに住むシングルマザーのソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)に思いを寄せたりもするが、さほどの進展はない。

 荒んだ町の現実は、アーサーに甘くはない。失業中で病弱の母の面倒をみながら、病院の慰問や路上でのサンドイッチマンでは、たかだか収入はしれている。

しかも、ピエロ姿のアーサーは、路上でひどい暴力を受ける。やがて、徐々にだが、アーサーの精神は崩壊し始める。そして、地下鉄の車内で、ピエロ姿のアーサーは、大きく変容を遂げる。

 ジミー・デュランテの唄う「スマイル」が、効果的に使われる。

「心が病み、胸が裂けそうでも、微笑んで。悲しくても、苦しくても、微笑んで。微笑めば、明日もまた、君のために太陽は輝く。ただ、微笑んで」

 原曲は、チャールズ・チャップリンが、「モダン・タイムズ」のために書いた器楽曲だ。作詞はジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズ。1954年、ナット・キング・コールが唄って大ヒットした。「スマイル」に合わせて、アーサーは言う。「俺の人生は悲劇だ。いや違う、喜劇だ」と。

 すっかり人格の変わったアーサーは、やがて、ある決意を秘めて、有名なトーク番組の司会者マーレイ・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)のショーにゲスト出演することになる。

 荒廃したゴッサム・シティを見ていると、つい、いまの日本を思い浮かべてしまう。外交、内政ともにデタラメで、売国奴のような政治家を許す土壌が、そもそも荒廃である。ジョーカーだけではない。どの国でも、荒廃あるところ、人は狂う。今後、さまざまな形で、いろんな意味合いの「ジョーカー」が、狭い日本にも登場し、必ずや、時の権力者に鉄槌を下すはずである。

 製作にも名を連ね、スコット・シルバーと共同で脚本を執筆、監督したのはトッド・フィリップスである。もとはドキュメンタリー作家で、「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」の脚本で有名だ。

 また、大ヒットした「ハングオーバー!」シリーズの監督で、もちろん、「バットマン」へのこだわりは、半端ではない。

 アーサー・フレックことジョーカー役は、ホアキン・フェニックス。過去にジョーカーを演じたシーザー・ロメロ、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトに比して、まったく遜色はない。もはや神がかり的に、スクリーンを駆けめぐる。

 ロバート・デ・ニーロが、ホアキン・フェニックスの憧れるコメディアンに扮する。そういえば、マーティン・スコセッシ監督の「キング・オブ・コメディ」では、ロバート・デ・ニーロが、やはりコメディアンに扮したジェリー・ルイスに憧れる役だった。ロバート・デ・ニーロは、現実と空想がないまぜになる役どころを力演し、そのまま「タクシードライバー」を引き継いでいったのだった。

 ホアキン・フェニックスとロバート・デ・ニーロが、トッド・フィリップスの文明批評に応える。見る価値あり。今年の第76回ヴェネツィア国際映画祭では、金獅子賞を受賞。

☆ 2019年10月4日(金)~ TOHOシネマズ日本橋ほか 全国ロードショー 

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