今週末見るべき映画「真実」
――映画を取り巻く状況そのものが事件、話題である。「万引き家族」で、第71回カンヌ国際映画祭のパルムドールを受けた是枝裕和監督が、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホークを起用しての新作「真実」は、第76回ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品となった。どのような映画なのか。
(2019年10月10日「二井サイト」公開)
世界的な大女優ファビエンヌ・ダンジュヴィル(カトリーヌ・ドヌーヴ)が、自伝本を書き、まもなく発売となる。
撮影中の新作映画「母の記憶に」もあって、ファビエンヌは、パリの自宅でインタビューを受けている。いかにも大女優、傲岸不遜な態度である。新作について聞かれても、「大した映画じゃないわ」と答える。
映画「真実」(ギャガ配給)は、映画好きにはたまらないほど、ニヤリとする出だしで、引き込まれる。
出版のお祝いで、ニューヨークで脚本家をしている娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)が、テレビ俳優の夫ハンク・クーパー(イーサン・ホーク)と、7歳の娘シャルロット(クレモンティーヌ・グルニエ)を連れてやってくる。
ファビエンヌの娘家族を出迎えるのは、長くファビエンヌの秘書をしているリュック(アラン・リボル)と、ファビエンヌのいまのパートナーで、料理の得意なジャック(クリスチャン・クラエ)だ。
リュミールは顔で笑っていても、どこか不機嫌だ。自伝の原稿をあらかじめ見せる約束をしたのに、ファビエンヌは「あら、送ったわよ、行き違いね」ととぼけて、娘との約束を無視している。やがて、ファビエンヌの自伝「真実」が刷り上がってくる。夜、リュミールは一気に「真実」を読み終える。
翌朝、リュミールは、母に詰め寄る。「ママ、これのどこが真実よ」と。また、「小さい頃、学校まで迎えに行った」とある。「一度もなかったわ」とリュミール。「事実なんて退屈だ」と切り返すファビエンヌ。さらに、リュミールは責める。「サラおばさんが一言も出てこない」と。サラは、ファビエンヌの親友で、ライバルでもあった。一瞬、ファビエンヌの表情が険しくなる。
リュミールは、秘書のリュックから説明される。「サラの死後、ファビエンヌはサラのことを忘れたことはない」と。リュックによれば、新作映画も、「サラの再来」と言われている新人女優のマノン(マノン・クラヴェル)が主演だから、出演を引き受けたらしい。
長年、ファビエンヌに仕えるリュックでさえ、「真実」のなかには一行も出てこない。まるで無視されたのか、リュックは退職し、秘書の仕事をリュミールに委ねる。
そこに、ファビエンヌの元の夫で、リュミールの実の父親ピエール(ロジェ・ヴァン・オール)が現れ、「自伝の出演料くらいは貰えるのでは」と言い出す始末。
本来、自伝などは客観的事実以外、真実などは書かれることはない。すべて、本人の自慢か、都合のいいことばかりだ。
やがてファビエンヌの付け人となったリュミールは、マノンと出会う。なるほど、サラの再来と言われるだけあって、サラによく似ている。やがて、リュミールにとって真実ではない真実が、立ち現れてくる。
日本の格差社会の底辺に生きる疑似家族の悲喜交々を、かなりしつこく描いた是枝監督は、ここでは、経済的には恵まれていると思われる家族のありようを、母と娘の確執を中心に据えて、淡々とスケッチしていく。
カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュの堂々たる芝居が、映画を牽引する。売り出し中のテレビ俳優を演じたイーサン・ホークが、短い出番ながら、その表情が多くを語り、さすがだなあと思う。精緻に構成された脚本に、俳優たちの優れた演技、行き届いた是枝演出に、ただもう、ため息をつき、うっとり。
イングマール・ベルイマン監督の「秋のソナタ」や、ミシェル・フランコ監督の「母という名の女」など、母娘の確執を描いた傑作は多いが、ここにこの「真実」が、加わる。母の真実は、娘の思う真実とは大きく異なる。生きるために、家族を守るために、さまざまな嘘で塗り固める人生もまた、真実。
ファビエンヌの「良い母になるより、女優を選んだの」といった生き方に、リュミールのいまがある。表面は仲良し母娘にも、闇の部分はあるし、その逆もある。家族のありように必要なものは何かを、低いがしっかりした声で、問いかけてくる。
深刻そのものといった映画ではない。家族の争いがエスカレートするわけでもない。むしろ、セリフのやりとりは軽妙洒脱。エンディングのカトリーヌ・ドヌーヴに、映画「真実」のテーマが凝縮されているよう。
これまで、「そして父になる」「海街diary」「万引き家族」と、いろんな形態の家族を描いてきた是枝監督が、ここにきて、声高にならず、力まず、余裕がある。いいなあと思う。
☆2019年10月11日(金)~ TOHOシネマズ日比谷 ほか 全国ロードショー