今週末見るべき映画「ソン・ランの響き」
――1980年代のベトナムのサイゴン。ユンは借金の取り立て人だが、かつて、ベトナムの歌舞劇カイルオンの伴奏をする打楽器ソン・ランの奏者を目指していた。ユンは、カイルオンの若い俳優のリン・フンと出会う。ユンとリン・フンは、それぞれに切ない過去を抱えていて、お互いに共感を抱くのだが……。
(2020年2月18日「二井サイト」公開)
1980年代のベトナムのサイゴン。「ソン・ランの響き」(ムービー・アクト・プロジェクト配給)は、庶民に人気のあるカイルオンという歌舞劇が、映画を象徴し、ドラマを牽引する。
2018年の第31回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門で上映され、主役のユンを演じたリエン・ビン・ファットが、若手俳優に贈られる東京ジェムストーン賞を受賞している。
かつて、カイルオンを伴奏する打楽器ソン・ランの奏者を目指していたユン(リエン・ビン・ファット)は、いまは、高利貸しの女性ズーのもとで、借金の取り立て人をしている。
100年ほどの伝統のあるカイルオンは、中国の京劇、日本の歌舞伎のようなもので、若い俳優のリン・フン(アイザック)は、悲劇の「ミー・チャウとチョン・トゥイー」を演じようとしている。
ユンの取り立ては厳しく、今日は、カイルオンを上演しようとしている劇団の楽屋に出向く。団長は、「すぐには払えない」と言うが、ユンは承知しない。
ユンは、衣装にガソリンをかけて燃やそうとするが、リン・フンが自分の時計と金の鎖を差しだし、返済の猶予を申し出る。いつもは強引な取り立てを迫るユンだが、美しい表情のリン・フンを見て、時計や金の鎖を受け取らず、楽屋を後にする。
翌日、ユンは、借金を返せないタイの家に向かう。タイが戻ってくる。ユンは、返済できないタイと、その妻を殴りつける。その夜、ユンは、リン・フンの出ているカイルオンの劇場で、「ミー・チャウとチョン・トゥイー」を見る。
次の日、ユンはまたタイの家に出向く。なんと、妻と子どもが無理心中をはかり、亡くなってしまう。病院に駆けつけたタイは呆然とする。
ある日、ユンは町の食堂で、酔っぱらいにからまれて、乱闘を始めたリン・フンに出会う。ユンは酔っぱらいたちを倒すが、リン・フンもまた、卒倒してしまう。
これを機に、ユンとリン・フンは、互いに打ち解けていく。リン・フンは、悲しい過去を語り、ユンもまた、父がカイルホンの伴奏者だったことなどを打ち明ける。
ユンの父の書いた詩がある。ユンはリン・フンに「唄ってくれ」と頼む。「伴奏がなければ唄えない」というリン・フン。ユンは、ダン・グエットという弦楽器と、古い箱からソン・ランを取り出し、伴奏する。
リン・フンは、妻に去られた男の哀しみを唄う。ユンの見事な演奏を知ったリン・フンは、劇団で演奏するよう勧めるのだが……。
たしかに、いわゆるボーイ・ミーツ・ボーイ物語ではあるが、単に、愛情や友情といった表現では語り尽くせない、深く、濃い結びつきが、カイルオンという歌舞演劇を通して、静かに形作られていく。
以前、やはりベトナムの映画で、「青いパパイヤの香り」を見た。10歳の少女ムイが仕える屋敷の主人が、たしかダン・グエットを弾くシーンがあった。哀しく、切なく、美しい音色に、心震えた。ユンの弾くダン・グエット、ユンの踏むソン・ランのリズムもまた、哀しく、切なく、美しい。
借金の取り立て人という、ヤクザな役回りのリエン・ビン・ファットは、これが映画初出演だ。本来の繊細さを隠しながら、アイザックが演じる若いカイルオン俳優に、少しずつ心を開いていく過程を、絶妙に演じ切る。
脚本を書き、監督したのはレオン・レ。ベトナム生まれだが、アメリカで俳優、歌手、ダンサーの履歴があり、写真家でもある。サイゴンの下町、ビルの屋上からの風景、カイルオンの舞台など、ともかく、美しく切り取った映像に引き込まれる。
映画の冒頭、ユンの独白が流れる。ユンの父親の残した言葉だ。
「ソン・ランはただの楽器ではない。音楽の神を宿し、奏者と演者にテンポを与えながら、人生のリズムを刻みつつ、芸術家の品性を導いていく」
映画は、ユンが久しく忘れていたソン・ランの響きを、どのように思い出していくかを、静謐に、丁寧に描いていく。京劇や歌舞伎、オペラの好きな人には、もう涙、涙の映画だろう。
☆ 2020年2月22日(土)~ 新宿・K's cinemaほか 全国順次ロードショー