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今週末見るべき映画「イサドラの子どもたち」

 ――舞踊の世界に革命をもたらした天才的な女性ダンサー、イサドラ・ダンカン。その遺伝子を受け継ぐかのように、4人の女性が登場し、イサドラの残した自伝「わが生涯」や舞踊譜などを元に、それぞれのイサドラ像に迫ろうとする。


 「イサドラの子どもたち」(コピアポア・フィルム配給)は、静謐ななかに、4人の女性のイサドラへの熱い想いがあふれている。

   (2020年9月25日「二井サイト」公開)



 ドキュメンタリーなのか、フィクションなのか、そのどちらでもあり、どちらでもない。いわば、ドキュメンタリーの体裁をとったフィクションと言える。


 そもそもイサドラ・ダンカンは、どのような女性だったのか。生まれは1877年。アメリカで育ち、イギリスに移住。ヨーロッパのあちこちでダンサーとして有名になる。奇抜な衣装で、裸足で踊る。前例にとらわれず、自由に踊る。

 自ら踊るだけでなく、ベルリン、パリ、モスクワにダンス学校を設立する。1913年、まだ幼いふたりの子どもを乗せた車が、セーヌ川に落ちて、子どもたちは死亡する。イサドラは、その悲しみを癒すかのように、ダンス「母」を作りあげる。

 1927年。フランスのニース郊外で、イサドラは、まとっていた赤の長いスカーフが車の車輪に巻き込まれ、死去。以降、同じような事故を、イサドラ・ダンカン症候群と呼ぶようになる。なにもスカーフだけとは限らない。長いスカートや着衣の一部がタイヤなどに絡みついた事故の総称でもある。享年50歳だった。

古い映画ファンならご存じと思うが、昔、「裸足のイサドラ」という映画があった。監督はカレル・ライス。イサドラに扮したのは、ごひいきの女優ヴァネッサ・レッドグレーヴだ。回想形式で、イサドラの一生を描いた傑作だった。

 このほどの「イサドラの子どもたち」の全体は3部構成で、アガト・ボニゼール、マノン・カルパンティエとマリカ・リッジ、そしてエルザ・ウォリアストンの4人が、実名で登場する。

 振付師のアガトは、イサドラの自伝「わが生涯」を読み続けている。「子どもたちの死後、幾昼夜を碧いカーテンのスタジオで過ごした。悲しみの中、ダンスの創作を試みた。だが、身体は微塵も動かない。あの忌むべき事故を美に変えられたら……」


 アガトは、イサドラの残した「作品集」に収められた「母」というダンスの舞踊譜を見て、イサドラの踊りを再現しようとする。アガトは、足や手の位置、体全体の動きを、逐一、確かめながら、イサドラに近づこうとする。子どもを抱きしめる、子どもと手をつなぐ、そんな状況を、アガトが踊ろうとしている。

 やはり振付師のマリカ・リッジは、ダウン症の若いダンサー、マノン・カルパンティエに、イサドラの教えを語り伝えている。「母」というダンスをどう解釈し、踊るか。マリカとマノンの対話が続く。

マリカは、イサドラと亡くなった子どもの写真をマノンに見せる。マリカは言う。「物語を語るのは、動きよ。子どもを揺する動きや、抱っこしたり、向きを変えたり……。動きが語るからこそ、物語が見えてくる」と。さらにマリカは続ける。「子どもたちを映し出して、視覚化する。あなたの言葉で、物語を語ってほしい……。どんな動きも物語の一部分を担う」とも。 

 マリカは、イサドラの言葉をマノンに伝える。「ダンスは誰のものでもない。でも、皆が自分自身の動きとやり方を見つけるべきです」と。やがて、マノンのダンス「母」の公演が始まる。

 マノンの「母」の舞台上演を、ベテランの振付師でダンサーのエルザ・ウォリアストンが見ている。夜の9時半。エルザはレストランで食事をする。杖の必要なエルザは、ゆっくりと歩き、さっき見た「母」の舞台を反芻しながら、家路に向かう。家に戻り、コートを脱ぐ。

エルザは、イサドラの言葉が書いてあるチラシを見やる。「太古より眠るダンスを、私の悲しみが目覚めさせる」とある。服を着かえ、亡くなったと思われる子どもの写真に、線香を供える。

 ただ、それだけのプロットである。4人のまったく立場や世代などが異なる女性たちの、イサドラへの深い想いが描かれていく。圧巻は、エルザである。まったくの無言。その静かなエルザの動作そのものが、イサドラのダンス「母」を表現しているかのよう。ことに、ラストシーンに感動が凝縮される。じっくりとご覧いただきたい。 

 アガト・ボニゼールは、「美しいひと」などに出た女優だが、マノン・カルパンティエはダンサー、マリカ・リッジとエルザ・ウォリアストンは、ダンサーであり、振付師である。 人が踊るだけではない。草木が揺れる。鳥が羽ばたく。子どもたちが戯れる。波が打ち寄せる。列車が通過する。エルザの歩みなどなど、映画の森羅万象が、イサドラの悲しみに呼応した「ダンス」なのだ。 

 劇中、スクリャービンの「エチュード作品2の1」が流れる。スクリャービンが14歳の頃に作曲した有名な曲だ。イサドラの悲しみを踊る女性たちに、静かに静かに、寄り添う。たぶん、イサドラも愛した音楽なのだろうと思う。 

 イサドラ・ダンカンへの思い入れがたっぷりのこのような映画を撮る人は、ダンサーに違いない。案の定、ダミアン・マニヴェル監督は、コンテンポラリー・ダンサーである。「犬を連れた女」などの短編をいくつか撮った後、「若き詩人」などの長編を撮る。

 第18回の東京フィルメックスで、コンペ作品だった「泳ぎすぎた夜」では、日本の五十嵐耕平監督と共同監督を務めている。 

 イサドラ・ダンカンとダンスへの深い愛に満ちた一作。何度でも、見直したくなる。


☆ 2020年9月26日(土)~ シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 

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